第五章 メシヤ再降臨準備時代 P.510〜P.557

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昭和42年10月 2日 初版発行
平成 5年 4月 1日 第3版第9刷発行

    第五章 メシヤ再降臨準備時代

 メシヤ再降臨準備時代とは、西暦一五一七年の宗教改革が始まったときから、一九一八年第一次世界大戦が終わるまでの四〇〇年間をいう。この時代の性格に関する大綱は、同時性から見たメシヤ降臨準備時代との対照において既に論述したが、ここで、もう少し詳細に調べてみることにしよう。復帰摂理から見て、更に、この期間は宗教改革期、宗教および思想の闘争期、政治と経済および思想の成熟期などの三期間に区分される。

    第一節 宗教改革期(一五一七〜一六四八)

 西暦一五一七年、ドイツでルターが宗教改革の旗を揚げたときから、一六四八年、ウェストファリア条約によって新旧両教徒間の闘争が終わるまでの一三〇年の期間を、宗教改革期と称する。この期間の性格は、中世封建社会の所産である文芸復興と、宗教改革とによって形作られる。神が中世社会を通して成し遂げようとされた摂理の目的を成就できなくなったとき、これを新しい摂理歴史の方向へ転換させて、「再臨のメシヤのための基台」を造成していくに当たって中枢的な使命を果たしたのが、正に文芸復興(Renaissance)と宗教改革(Reformation)であった。したがって、これらに関することを知らなければ、この時代に関する性格を知ることができない。文芸復興と宗教改革が中世封建社会の所産であるとするならば、この社会が中世の人間の本性に、いかなる影響を与えてこれらのものを生みだすようになったのであろうか。
 中世は、封建制度とローマン・カトリックの世俗的な堕落からくる社会環境によって、人間の本性が抑圧され、自由な発展を期待することができない時代であった。元来、信仰は、各自が神を探し求めていく道であるので、それは個人と神との間に直接に結はれる縦的な関係によってなされるのである。それにもかかわらず、法王と僧侶の干渉と形式的な宗教儀式とその規範は、当時の人間の信仰生活の自由を拘束し、その厳格な封建階級制度は、人間の自由な信仰活動を束縛したのであった。そればかりでなく、僧侶の僧官売買と人民に対する搾取によって、彼らの生活は一層奢侈と享楽に流れた。したがって、法王権は一般社会の権力機関と何ら変わりない非信仰的な立場に立つようになり、彼らは国民の信仰生活を指導することができなくなったのである。このように、中世封建時代の社会環境は、人間の創造本性を復帰する道を遮っていた。ゆえに、このような環境の中に束縛されていた中世の人たちは、本性的にその環境を打ち破って、創造本性を復帰しようとする方向へ向かって動かざるを得なかったのである。このようにして、人間の本性は明らかに内外両面の性向をもって現れたのであるが、その創造原理的根拠はどこにあるかを調べてみることにしよう。
 創造原理によれば、人間は神の二性性相に対する形象的な実体対象としてつくられたのであるから、神の本性相と本形状に似ている。また、その性相と形状は、内的なものと外的なものとの関係をもっている。人間は、このような内的な性相と外的な形状との授受作用によって生存するように創造されたので、このように創造された人間の本性も、内外両面の欲望を追求するようになる。それゆえに、神がこのような人間に対して復帰摂理をなさるときも、人間本性の両面の追求に対応する摂理をせざるを得ないのである。ところで、神は元来、人間の外的な肉身を先に創造され、その次に内的な霊人体を創造されたので(創二・7)、再創造のための復帰摂理も、外的なものから、内的なものへと復帰していく摂理をされるのである。既に、後編第一章で論述したように、堕落人間は、外的な「象徴献祭」をささげた基台の上においてのみ内的な「実体献祭」をささげることができ、ここで成功することによってのみ、更に内的な「メシヤのための基台」をつくり得るのであるが、その理由はここにあるのである。したがって、堕落人間を復帰されるに当たっても、旧約前時代には献祭により「僕の僕」としての立場(創九・25)を、旧約時代には律法により僕の立場(レビニ五・55)を、そして新約時代には信仰にょって養子の立場(ロマ八・23)を、成約時代には心情によって真の子女の立場を復帰する、という順序で摂理を運ばれたのである(後編第二章第三節(三)(2))。また科学によって先に外的な社会環境を復帰しながら、続いて宗教を立てて内的な人間の心霊を復帰する摂理をなさる理由もここにある。天使と人間とが創造された順序を見ても、外的な天使長が先で、内的な人間があとであった。したがって、天使と堕落人間を復帰するに当たっても、先に外的な天使世界を立てて摂理なさることによって、人間の肉身を中心とした外的な実体世界を復帰なさり、その後続いて、霊人体を中心とした内的な無形世界を復帰するという順序で摂理をなさるのである。
 「信仰基台」を復帰する、内的な使命を果たすべきであった法王たちの淪落によって、侵入したサタンを分立して、創造本性を復帰しようとした中世の人々は、その本性の内外両面の追求によって、中世的指導精神をカインとアベルの二つの型の思想の復古運動として分立させたのであった。その第一は、カイン型思想であるヘレニズムの復古運動であり、第二は、アベル型思想であるヘブライズムの復古運動である。ヘレニズムの復古運動は、人本主義の発現である文芸復興を引き起こし、ヘブライズムの復古運動は、神本主義の復活のための宗教改革を引き起こしたのである。では、ヘレニズムとヘブライズムの流れが、どのようにして歴史的に交流され、この時代に至ったのかということを先に調べてみることにしよう。
 紀元前二〇〇〇年代に、エーゲ海のクレタ島を中心としてミノア文明が形成された。この文明はギリシャへ流入し、紀元前十一世紀に至っては、人本主義のヘレニズム(Hellenism)を指導精神とする、カイン型のギリシャ文明圏を形成したのである。これとほば同時代に、神本主義のヘブライズム(Hebraism)を指導精神とする、アベル型のヘブライ文明圏を形成したのであるが、このときが、すなわち統一王国時代であった。当時のイスラエルの王が「信仰基台」を立て、人民と共に神殿を奉ずることによってつくられる「実体基台」の上で「メシヤのための基台」を造成し、メシヤを迎えたならば、そのときにヘブライ文明圏はギリシャ文明圏を吸収して、一つの世界的な文明圏を形成したはずであった。しかし、彼らが神のみ意のとおりにその責任分担を遂行しなかったので、このみ旨は成就されなかったのである。それゆえに、彼らはバビロソに捕虜として捕らえられていったが、帰還したのち、紀元前三三三年ギリシャに属国とされたときから、紀元前六三年ギリシャ文明圏にあったローマの属国となり、イエスが降臨なさるまでの期間は、ヘブライズムがヘレニズムの支配を受ける立場にあった時代である。
 前章で既に論述したように、ユダヤ人がイエスを信奉して、彼を中心として一つになったとすれば、当時のローマ帝国は、イエスを中心とするメシヤ王国を実現したはずであった。もし、そのようになったならば、そのときにヘブライズムはヘレニズムを吸収して、一つの世界的なヘブライ文明圏が形成されたはずであった。しかし、ユダヤ人がイエスに反逆してこの目的が成就されなかったので、ヘブライズムはそのままヘレニズムの支配下にとどまっていたのである。しかし、西暦三一三年に至り、コンスタソチヌス大帝がミラノ勅令を下してキリスト教を公認してからは、次第にヘレニズムを克服しはじめ、西暦七〇〇年代に至ってほ、ギリシャ正教文明圏と西欧文明圏を形成するようになったのである。
 中世社会において、「信仰基台」を復帰すべき中心人物であった法王と国王たちが、もし堕落しなかったとすれは、そのときに「再臨のメシヤのための基台」がつくられ、ヘブライズムはヘレニズムを完全に吸収融合して、世界は一つの文明圏を形成したはずであった。しかし、既に論じたように、彼らの淪落によってヘブライズムを中心とする中世的指導精神がサタンの侵入を受けたので、神はサタン分立の摂理をなさらなければならなかったのである。ゆえに神ほ、あたかもアダムに侵入したサタンを分立なさるために、アダムをカインとアベルに分立されたように、このときにもその指導精神を二つの思想に再分立する摂理をされたのである。それがすなわち、カイン型のヘレニズムの復古運動と、アベル型のヘブライズムの復古運動であった。そしてこれらはついに、各々文芸復興と宗教改革として現れたのである。しかるにこの時代は、人本主義を主導理念とする文芸復興が起こるに従って、ヘレニズムがヘブライズムを支配する立場に立つょうになったのである。そして、この時代は、メシヤ降臨準備時代において、ユダヤ民族がギリシャの属領となることにより、ヘレニズムがヘブライズムを支配した時代を、実体的な同時性として蕩減復帰する時代となるのである。あたかもカインがアベルに屈伏して、初めてアダムに侵入したサタンを分立させ、メシヤを迎えるための「実体基台」が造成できるように、カイン型であるヘレニズムがアベル型であるヘブライズムに完全に屈伏することによって、初めて中世的指導精神に侵入したサタンを分立させ、再臨主を迎えるための「実体基台」が世界的に造成されるのである。

    (一)文 芸 復 興(Renaissance)

 中世社会の人々の本性から生ずる外的な追求は、ヘレニズムの復古運動を起こし、この運動によって文芸復興が勃興してきたことについては既に論述した。それでは、その本性の外的な追求は何であり、また、どのようにして人間がそれを追求するようになったかを調べてみることにしよう。
 創造原理によれば、人間は、神も干渉できない人間自身の責任分担を、自由意志によって完遂することにより初めて完成されるように創造されたので、人間は本性的に自由を追求するようになる。また、人間は、自由意志によって自分の責任分担を完遂し、神と一体となって個性を完成することにより、人格の絶対的な自主性をもつように創造された。ゆえに、人間は、本性的にその人格の自主性を追求するようになっている。そして、個性を完成した人間は、神から何か特別の啓示を受けなくても、理知と理性によって神のみ旨を悟り、生活するように創造されているので、人間は本性的に理知と理性を追求するようになる。人間はまた、自然界を主管するように創造されたので、科学により、その中に潜んでいる原理を探求して、現実生活の環境を自ら開拓しなければならない。したがって、人間は本性的に自然と現実と科学とを追求するようになるのである。
 しかるに、中世社会の人々は、その封建制度による社会環境によって彼らの本性が抑圧されていたために、その本性の外的な欲望によって、上に見たような事柄を更に強く追求するようになったのである。また上述のように、中世の人々は十字軍戦争以来、東方から流入してきたヘレニズムの古典を研究するようになったが、ギリシャの古代精神が、すなわち、人間の自由、人格の自主性、理知と理性の尊厳性と、自然を崇拝し、現実に重きをおいて科学を探求することなど、人間の本性の外的な追求によるものであったので、これらがそのまま中世の人々の本性的な欲望に合致して、ヘレニズムの復興運動は激しく勃興し、ついには人本主義が台頭するようになったのである。「ルネッサンス」とは、フランス語で、「再生」または「復興」という意味である。このルネッサンスは、十四世紀ごろから、ヘレニズムに関する古典研究の本場であるイタリアにおいて胎動しはじめた。この人本主義運動は、初めは中世の人々をギリシャの古代に帰らせ、その精神を模倣させょうとする運動から始まったが、それが進むにつれて、この運動は古典文化を再生し、中世的社会生活に対しての改革運動に変わり、また、これは単に文化の方面だけにとどまったのではなく、政治、経済、宗教など、社会全般にわたる革新運動へと拡大され、事実上、近代社会を形成する外的な原動力となったのである。このように、人間本性の外的な欲望を追求する時代的な思潮であった人本主義(あるいは人文主義)が、封建社会全般に対する外的な革新運動として展開された現象をルネッサンス(文芸復興)と呼ぶのである。

    (二)宗 教 改 革

 中世社会における法王を中心とする復帰摂理は、法王と僧侶の世俗的な堕落によって成就することができなかった。そして上述のように、中世の人々が人本主義を唱えるにつれて、人々は人間の自由を束縛する形式的な宗教儀式と規範とに反抗し、人間の自主性を蹂躪する封建階級制度と法王権に対抗するようになったのである。さらにまた、彼らは人間の理性と理知を無視して、何事でも法王に隷属させなけれは解決できないと考える固陋な信仰生活に反発し、自然と現実と科学を無視する遁世的、他界的、禁欲的な信仰態度を排撃するようになった。こうしてついに、中世のキリスト教信徒は法王政治に反抗するようになったのである。
 このようにして、中世社会の人々がその本性の外的な欲望を追求するにつれて、その反面、抑圧されていた本性の内的な欲望をも追求するようになり、ついには、使徒たちを中心として神のみ旨のみに従った熱烈な初代キリスト教精神への復古を唱えるようになった。これがすなわち、中世におけるヘブライズムの復古運動である。そうして、十四世紀に、英国のオックスフォード大学の神学教授ウィクリフ(Wycliffe 1324〜1384)は聖書を英訳して、信仰の基準を法王や僧侶におくべきでなく、聖書自体におくべきであると主張すると同時に、教会の制度や儀式や規範は聖書に何らの根拠をおくものでもないことを証言して、僧侶の淪落と、その民衆に対する搾取および権力の濫用を痛撃した。
 このように宗教改革運動は、十字軍戦争によって法王の権威が落ちたのち、十四世紀から既に英国で胎動しはじめ、十五世紀にはイタリアでもこの運動が起こったのであるが、それらはみな失敗に終わり、その中心人物たちは処刑されてしまったのである。その後一五一七年、法王レオ十世が、聖ペテロ寺院の建築基金を募集するために、死後に救いを受ける購罪の札であると宣伝して免罪符を売るようになると、この弊害に対する反対運動が導火線となって、結局ドイツにおいてウィッテンベルグ大学の神学教授であったマルティソ・ルター(Martin Luther 1483〜1546)を中心として宗教改革運動が爆発したのであった。この革命運動ののろしは次第に拡大され、フランスではカルヴィン(Calvin)、スイスではツウィングリ(Zwingli 1484〜1531)を中心として活発に伸展し、イギリス、オランダなどの諸国へと拡大されていったのである。
 このように、新教運動を中心として起こった国際間の戦いは百余年間も継続してきたが、ドイツを中心として起こった三十年戦争が一六四八年ウェストファリア条約によってついに終結し、ここにおいて新旧両教徒間の戦いに一段落がついたのである。その結果、北欧はゲルマン民族を中心として新教が勝利を得、南欧ほラテン民族を中心とする旧教の版図として残るようになったのである。
 この三十年戦争は、ドイツを中心とするプロテスタントとカトリック教徒間に起こった戦いであった。しかし、この戦争は単なる宗教戦争にとどまったのではなく、ドイツ帝国の存廃を決する政治的な内乱でもあった。したがって、この戦争を終結させたウェストファリア講和会議は、新旧両教派に同等の権限を与える宗教会議であると同時に、ドイツ、フランス、スペイン、スウェーデン諸国間の領土問題を解決する政治的な国際会議でもあったのである。

    第二節 宗教および思想の闘争期(一六四八〜一七八九)

 この期間は、西暦一六四八年ウェストファリア条約によって新教運動が成功して以後、一七八九年フランス革命が起こるまでの一四〇年期間をいう。文芸復興と宗教改革によって人間本性の内外両面の欲望を追求する道を開拓するようになった近世の人々は、信教と思想の自由から起こる神学および教理の分裂と、哲学の戦いを免れることができなくなっていた。
 ところで、今まで後編で述べてきたように、復帰摂理は、長い歴史の期間を通じて、個人から世界に至るまでカインとアベルの二つの型の分立摂理によって成し遂げられてきた。したがって、歴史の終末においても、この堕落世界は、カイン型の共産主義世界と、アベル型の民主主義世界に分立されるのである。そして、ちょうど、カインがアベルに従順に屈伏して初めて「実体基台」が成し遂げられるように、このときにもカイン型の世界がアベル型の世界に屈伏して初めて、再臨主を迎えるための世界的な「実体基台」が成就されて、一つの世界を復帰するようになるのである。このように、カインとアベルの三つの型の世界が成り立つには、そのための二つの型の人生観が確立されなけれはならないが、この二つの型の人生観は、実にこの期間に確立されたのであった。

    (一)カイン型の人生観

 人間本性の外的な追求は、ヘレニズムの復古運動を起こして人本主義を生みだした。そして、この人本主義を基盤にして起こった反中世的な文芸復興運動は、神への帰依と宗教的な献身を軽んじ、すべてのことを自然と人間本位のものに代置させたのである。すなわち、神に偏りすぎて自然や人間の肉身を軽視し、それらを罪悪視するまでに至った中世的な人生観から、理性と経験による合理的な批判と実証的な分析を通じて人間と自然を認識することにより、彼らの価値を高める人生観を確立したのである。このような人生観は、自然科学の発達からくる刺激により、人生に対する認識と思惟の方法論において二つの形式をたどるようになった。そしてこれらが近世哲学の二大潮流をつくったのであるが、その一つは演繹法による理性論であり、もう一つは帰納法による経験論である。
 フランスのデカルト(Descartes 1596〜1650)を祖とする理性論は、すべての真理は人間が生まれながらにもっている理性によってのみ探求されると主張した。彼らは歴史性や伝統を打破して演繹法を根拠とし、「我思う、ゆえに我あり」という命題を立てて、これから演繹することによって初めて外界を肯定しようとしたのである。したがって、彼らは神や世界や自分までも否定する立場に立とうとしたのである。これに対して、イギリスのベーコン(Francis Bacon 1561〜1626)を祖とする経験論は、すべての真理は経験によってのみ探求されると主張した。人間の心はちょうど白紙のようなもので、新しい真理を体得するには、すべての先入観を捨てて実験と観察によって認識しなければならないとしたのである。このように、神から離れて理性を重要視する合理主義思想と、経験に基盤をおく人間中心の現実主義思想は、共に神秘と空想を排撃して、人間生活を合理化しながら現実化し、自然と人間とを神から分離させたのである。
 このような文芸復興は、人文主義から流れてきた二つの思潮に乗って、人間がその内的な性相に従って神の国を復帰しようとするその道を遮り、外的な性向のみに従ってサタンの側に偏る道を開く人生観を生みだした。これが正にカイン型の人生観であった。このカイン型の人生観は、十八世紀に至っては、歴史と伝統を打破して人生のすべてを理性的または現実的にのみ判断し、不合理なもの、非現実的なものを徹底的に排撃し、神を否定する合理的な現実にのみ重きをおくようになったのである。これがすなわち啓蒙思想であった。このような経験論と理性論を主流として発展した啓蒙思想がフランス革命の原動力となったのである。
 このようなカイン型の人生観の影響を受けて、イギリスではハーパート(Herbert 1583〜1648)を祖とする超越神教(Deism=理神論)が起こった。トマス・アクィナス(Thomas Aquinas 1224〜1274)以来、天啓と理性の調和に基礎をおいて発展した神学に対し、超越神教は単純に、理性を基礎とした神学を立てようとしたのである。彼らの神観は、単純に、神を、人間と宇宙を創造したという一つの意義にのみ局限させようとし、人間において神の啓示や奇跡は必要ないと主張した。
 一九世紀の初め、ドイツのへーゲル(Hegel 1770〜1831)は十八世紀以後に起こった観念論哲学を大成した。しかし、このへーゲル哲学も、啓蒙思想を土台としてフランスで起こった無神論と唯物論の影響を受けて、彼に反対するへーゲル左派の派生をもたらした。このへーゲル左派は、へーゲルの論理を翻し、今日の共産世界をつくった弁証法的唯物論の哲学を体系化したのである。ヘーゲル左派であるシュトラウス(D.F.Strauss 1808〜1874)は『イエス伝』を著述して、聖書に現れた奇跡は後世の捏造であるとして否定し、フォイエルバッハ(Feuerbach 1804〜1872)は彼の『キリスト教の本質』の中で、社会的または経済的与件が宗教発生の原因になると説明した。このような学説が唯物論の基礎を形成したのである。
 マルクス(Marx 1818〜1883)とエンゲルス(Engels 1820〜1895)は、シュトラウスやフォイエルバッハの影響を受けたが、それよりもフランスの社会主義思想から大きな影響を受けて弁証法的唯物論を提唱し、文芸復興以後に芽生えはじめて、啓蒙思潮として発展してきた無神論と唯物論とを集大成するに至った。その後、カイン型の人生観は一層成熟して、今日の共産主義世界をつくるようになったのである。

    (二)アベル型の人生観

 我々は、中世社会から近代社会への歴史の流れを見るとき、それが神や宗教から人間を分離、あるいは独立させる過程であるとのみ考えがちである。これは、どこまでも中世社会人の本性の外的な追求によって起こったカイン型の人生観にのみ立脚して見たからである。しかし、中世の人々の本性的な追求は、このような外的なものにばかりとどまったのではなく、より深く内的なものをも追求するようになったのである。彼らの本性の内的な追求が、ヘブライズムの復古運動を発生せしめることによって宗教改革運動を起こし、この運動によって哲学と宗教は創造本性を指向する立体的な人生観を樹立したのであった。これを我々は、アベル型の人生観という。したがって、カイン型の人生観は、中世の人々を神と信仰から分離、あるいは独立させる方向へ傾かせたが、このアベル型人生観は、彼らをして一層高次的に神の側へ指向するように導いてくれたのである。
 ドイツのカント(Kant 1724〜1804)は、お互いに対立してきた経験論と理性論を吸収して新たに批判哲学を打ち立て、内外両面を追求する人間本性の欲望を哲学的に分析して、哲学的な面でアベル型の人生観を開拓した。すなわち、我々の多様な感覚は対象の触発によって生ずるが、これだけでは認識の内容を与えるだけで、認識自体は成立し得ない。この認識が成立するためには、多様な内容(これは後天的であり経験的なものである)を一定の関係によって統一する形式がなければならない。その形式がまさしく自分の主観である。ゆえに、思惟する能力、すなわち自己の悟性の自発的な作用により、自己の主観的な形式(これは先天的であり超経験的である)をもって、対象からくる多様な感覚を統合、統一するところに認識が成立するとした。このようにカントは、対象により主観を形成するという従来の模写説を翻して、主観が対象を構成するという学説を提唱したのである。こうしたカントの学説を受け、彼の第一後継者であるフィヒテ(Fichte 1762〜1814)をはじめ、シェリング(Schelling 1775〜1854)、ヘーゲルなどが輩出したが、特にへーゲルはその弁証法で哲学の新しい面を開拓した。彼らのこのような観念論は、哲学的な面におけるアペル型の人生観を形成したのである。
 宗教界においては、当時の思潮であった合理主義の影響下の宗教界の傾向に反対して、宗教的情熱と内的生命を重要視し、教理と形式よりも神秘的体験に重きをおく、新しい運動が起こるようになった。その代表的なものは第一に敬虔主義(Pietism)で、これはドイツのシュペーネル(Spener 1635〜1705)を中心として起こったが、正統的信仰に従おうとする保守的な傾向が強く、神秘的な体験に重きをおいたのであった。また、この敬虔派の運動がイギリスに波及し、英国民の生活の中に染みこんでいた宗教心と融和して、ウェスレイ(J.Wesley 1703〜1791)兄弟を中心とするメソジスト派(Methodists)を起こすようになったのである。この教派は、沈滞状態に陥っていた当時の英国教会に大きな復興の気運を起こしたのであった。
 また英国には、神秘主義者フォックス(Fox 1624〜1691)を祖とするクェーカー派(Quakers)が生じた。フォックスは、キリストは信徒の霊魂を照らす内的な光である、と主張して、聖霊を受けてキリストと神秘的に結合し、内的光明を体験しなければ聖書の真意を知ることができないと主張した。この教派は、アメリカ大陸でも多くの迫害を受けながら布教を行ったのである。つぎに、スウェーデンボルグ(Swedenborg 1688〜1772)は著名な科学者でありながら霊眼が開け天界の多くの秘密を発表した。彼の発表は、長い間神学界で無視されてきたが、最近に至って霊界に通ずる人が増加するにつれて、次第にその価値が再認識されるようになってきた。このように、アベル型の人生観は成熟して、今日一の民主主義世界をつくるようになったのである。

    第三節 政治、経済および思想の成熟期(一七八九〜一九一八)

 前の時期において、宗教および思想の闘争はカイン、アベル二つの型の人生観を樹立してきたが、この時期に至ると、この二つの人生観はそれぞれの方向に従って成熟するようになった。そして、それらの思想の成熟につれて、カイン、アベルの二つの世界が形成されていったのである。社会の構造もこの三つの人生観に立脚した社会形態へと整理されて、政治、経済、思想も理想社会へと転換され得る前段階にまで進展した。フランス革命とイギリスの産業革命以後、第一次世界大戦が終わるころまでがこのような摂理期間であったのである。

    (一) 民 主 主 義

 歴史発展の観点から見た民主主義に関しては既に前草で論述した。しかし、それはどこまでも民主主義が出てくるまでの外的な経緯であった。我々はこのような歴史の発展の中で、いかなる思想の流れに乗って今日の民主主義が出てくるようになったのか、その内的な経緯を調べてみることにしよう。
 既に後編第四章第七節(二)で論じたように、キリスト王国時代において、法王を中心とした霊的な王国と、国王を中心とした実体の王国とが一つとなり、メシヤ王国のための君主社会をつくって「メシヤのための基台」をつくったならば、そのときに封建時代は終わったはずであった。しかし、この摂理が成し遂げられなかったので、この時代は延長され、政治史と宗教史と経済史とが互いに分立された路程に従って発展するようになったのである。中世封建時代において地方の諸侯たちに分散されていた政治権力は、十字軍戦争以後衰えはじめ、文芸復興と宗教改革を経て、啓蒙期に至っては一層衰微したのであった。十七世紀中葉に至ると、諸侯たちは民族を単位とする統一国家を立てて国王のもとに集中し、中央集権による絶対主義国家(専制主義国家)を形成するようになったのである。この時代は、王権神授説などの影響で、国王に絶対的な権限が賦与されていた専制君主時代であった。この時代が到来するようになった原因を社会的な面から見るならば、それは、第一に、市民階級が国王と結合して、封建階級と対抗するためであり、第二には、経済的な活動において、貿易経済が支配的なものとなったために、封建制度から抜けだした強力な国家の背景を必要とし、また、国民の全体的な福利のために、強力な国家の保護と監督による、重商主義経済政策が要望されるところにあったのである。また、復帰摂理から歴史発展を考えてみると、封建時代以後には、天の側の君主社会が成就されなければならなかったのであるが、この時代には法王と国王とが一つになれなかったので、この社会は完成されず、法王を中心とする社会は(次になさんとする神の側の摂理を)サタンが先に成し遂げていくという型どおりの路程に従って、サタン側の専制君主社会へと転化されたのである。
 カイン型の人生観を中心とする共産世界と、アベル型の人生観を中心とする民主世界を成し遂げていく復帰摂理の立場から、専制君主社会の帰趨を考察してみることにしよう。中世封建社会ほ、ヘブライズムとも、ヘレニズムとも、同様に相いれぬ社会であったので、この二つの思想は共同でそれを打ち破り、カイン、アベル二つの型の人生観に立脚した二つの型の社会を樹立したのであった。そのように、専制君主社会も、やはり、宗教改革以後のキリスト教民主主義による信教の自由を束縛したので、それはアベル型人生観の目的達成に反する社会であるとともに、またこの社会は、その中に依然として残っていた封建制度が、無神論者と唯物論者たちが指導する市民階級の発展を遮るものであったので、カイン型人生観の目的達成に反する社会でもあった。ゆえにこの二つの型の人生観は共に、この社会を打破する方向に進み、ついには、カイン、アベル二つの型の民主主義に立脚した共産と民主の二つの型の社会を形成したのである。

    (1) カイン型の民主主義

 カイン型の民主主義は、フランス革命によって形成された。したがって、この問題を論ずるためには、まずフランス革命について論じなければならない。当時フランスは、カイン型の人生観の影響によって、無神論と唯物論の道へと流れこんだ啓蒙思想が、怒涛のように押し寄せた時代であった。したがって、このような啓蒙思想に染まっていた市民階級は、絶対主義に対する矛盾を自覚するようになり、それに従って、絶対主義社会内にまだ深く根を下ろしている旧制度の残骸を、打破しようとする意識が潮のように高まっていたのである。
 そこで市民たちが、一七八九年、啓蒙思想の横溢により絶対主義社会の封建的支配階級を打破すると同時に、第三階級(市民)の自由平等と解放のために、民主主義を唱えながら起こった革命が、すなわち、フランス革命であった。この革命により、「人権宣言」が公表されることによって、フランスの民主主義は樹立されたのである。しかし、フランス革命による民主主義は、あくまでもカイン型の人生観を立てるために、唯物思想に流れこんだ啓蒙思想が、絶対主義社会を打破しながら出現したものであるから、これをカイン型の民主主義というのである。ゆえに、啓蒙思想の主要人物たちもそうであったが、フランス革命の思想家ディドロ(Diderot 1713〜1784)や、ダランべール(D'Alembert 1717〜1783)なども無神論、または唯物論系の学者たちであった。この革命のいきさつを見ても分かるように、フランスの民主主義は、個性の自由と平等よりも、全体主義へと転化される傾向性を内包していたのである。このようにカイン型の人生観は啓蒙思想を立ててフランス革命を起こし、カイン型の民主主義を形成した。これが神の側に復帰しようとする人間本性の内的な追求の道を完全に遮り、外的にばかりますます発展し、ドイツでのマルクス主義とロシアでのレーニン主義として体系化されることにより、ついには共産主義世界を形成するに至ったのである。

    (2) アベル型の民主主義

 イギリスやアメリカで実現された民主主義は、フランス大革命によって実現された民主主義とはその発端から異なっている。後者はカイン型人生観の所産である無神論および唯物論の主唱者たちが、絶対主義社会を打破することによって実現したカイン型の民主主義である。これに対して前者は、アベル型人生観の結実体である熱狂的なキリスト教信徒たちが信教の自由を求めるために絶対主義と戦い、勝利して実現したアベル型の民主主義であったのである。
 それでは、イギリスやアメリカでは、どのようにしてアベル型の民主主義を樹立したかということを調べてみることにしよう。イギリスでは、チャールズ一世が専制主義と国教を強化することによって、多くの清教徒たちが圧迫を受け、信仰の自由を求めて、ヨーロッパ内の他国、または、新大陸へ移動したのであった。かつてスコットランドでは、宗教的な圧迫を受けた一部の清教徒が国民盟約を決議して国王に反抗した(一六四〇年)。そののちイングランドでは、議会の核心であった清教徒が、クロムウェル(Cromwell 1599〜1658)を中心として清教徒革命を起こしたのである(一六四二年)。そればかりでなく、ジェームズ二世の専制と国教強化が激しくなるに従って、オランダの総督であった彼の婿オレンジ公ウイリアム(William V 1650〜1702)は、一六八八年に軍隊を率い、信仰の自由と民権の擁護のためイギリスに上陸し、無血で王位に上ったのであった。ウイリアムが王位につくや否や、彼は仮議会に上申された「権利の宣言」を承認し、議会の独立的な権利を認定し、のち、この宣言は「権利の章典」として公布され、英国憲法の基本となったのである。この革命は無血で成功したのでこれを名誉革命という。このように、イギリスにおけるこの革命は、外的に見ればもちろん市民階級が貴族、僧侶など大地主階級から政治的な自由と解放を獲得しようとするところにその原因があったけれども、それよりももっと主要な原因は、そのような革命を通じて内的な信仰の自由と解放を求めようとするところにあったのである。
 また、イギリスの専制主義王制のもとで弾圧を受けていた清教徒たちが、信仰の自由を得るためにアメリカの新大陸へ行き、一七七六年に独立国家を設立してアメリカの民主主義を樹立したのであった。このように、英米で樹立された民主主義は、アベル型の人生観を中心として、信仰の自由を求めるために、絶対主義祉会を改革しょうとする革命によって樹立されたので、これをアベル型の民主主義という。このようにしてアベル型の民主主義は今日の民主主義世界を形成するようになったのである。

    (二) 三権分立の原理的意義

 三権分立思想は、絶対主義の政治体制によって、国家の権力が特定の個人や機関に集中するのを分散させるために、啓蒙思想派の重鎮であったモンテスキュー(Montesquieu 1689〜1755)によって提唱されたが、これはフランス革命のとき「人権宣言」の宣布によって実現された。しかし元来、この三権分立は、天の側で成し遂げようとした理想社会の構造であって、復帰摂理の全路程がそうであるように、これもまたサタン側で、先に非原理的な原理型として成し遂げたのである。それでは、我々はここで、理想社会の構造がどのようなものであるかを調べてみることにしよう。
 創造原理で明らかにしたように、被造世界は完成した人間一人の構造を基本として創造された。そればかりでなく、完成した人間によって実現される理想社会も、やはり完成した人間一人の構造と機能に似ているようになっているのである。人体のすべての器官が頭脳の命令によって起動するように、理想社会のすべての機関も神からの命令によってのみ営為されなければならない。また、頭脳からくるすべての命令が、脊髄を中心として末梢神経を通じて四肢五体に伝達されるように、神からの命令は、脊髄に該当するキリストと、キリストを中心とする末梢神経に該当する聖徒たちを通じて、社会全体に漏れなく及ほなければならない。そして人体における、脊髄を中心とする末梢神経は、一つの国家の政党に該当するので、理想社会における、政党に該当する役割は、キリストを中心とする聖徒たちが果たすようになっているのである。
 肺臓と心臓と胃腸が、末梢神経を通じて伝達される頭脳の命令に従って、お互いに衝突することなく円満な授受の作用を維持しているように、この三臓器に該当する理想社会の立法、司法、行政の三機関も、政党に該当するキリストを中心とする信徒たちを通じて伝達される神の命令によって、お互いに原理的な授受の関係を結ばなければならない。人間の四肢が頭脳の命令に従い、人間の生活目的のために活動しているように、四肢に該当する経済機構は、神の命令に従い、理想社会の目的を達成するために実践する方向へと動かなければならない。また、人体において、肝臓が全身のために栄養を貯蔵するように、理想社会においても、常に全体的目的達成のために必要な貯蓄をしなければならないのである。
 しかしまた、人間の四肢五体が、頭脳と縦的な関係をもち、肢体の間で自動的に横的な関係を結びながら、不可分の有機体をつくっているように、理想社会においても、あらゆる社会の人々が神と縦的な関係を結ぶことによって横的な関係をも結ぶようになるので、喜怒哀楽を共にする一つの有機体をつくるようになるのである。それゆえに、この祉会においては、他人を害することが、すなわち自分を害する結果をもたらすことになるので、罪を犯すことができないのである。
 我々はまた、復帰摂理がこの社会構造をどのようなかたちで復帰してきたかということを調べてみよう。西欧における歴史発展の過程を見れば、立法、司法、行政の三権と政党の機能を国王一人が全部担当してきた時代があった。しかし、これが変遷して国王が三権を掌握し、法王を中心とする教会が政党のような使命を担当する時代に変わったのである。この時代の政治制度は、再びフランス革命により、立法、司法、行政の三権に分立され、政党が明白な政治的使命をもつようになり、民主主義立憲政治体制を樹立して、理想社会の制度の形態だけは備えるようになったのである。
 このように、長い歴史の期間を通じて政治体制が変遷してきたのは、堕落した人間社会が、復帰摂理によって、完成した人間一人の構造と機能に似た理想社会へと復帰されていくからである。このようにして今日の民主主義政体は、三権に分立され、また政党が組織されることによって、ついに人間一人の構造に相似するようになったが、それはあくまでも、復帰されていない堕落人間と同じように、創造本然の機能がまだ発揮されずにいるのである。すなわち、政党は神のみ旨を知っていないのであるから、それは頭脳の命令を伝達することができなくなった脊椎と、それを中心とする末梢神経と同様のものであるといえるのである。すなわち、悪法が神のみ言から成り立っていないので、立法、司法、行政の三機関は、あたかも神経系統が切れて、頭脳からくる命令に感応できなくなった三臓器のように、それらは相互間の調和と株序を失って、常に対立し、衝突するほかはないのである。
 ゆえに、再臨理想の目的は、イエスが降臨することにより、堕落人間一人の構造に似ている現在の政治体制に完全な中枢神経を結んでやることによって、神のみ旨を中心とした本然の機能を完全に発揮させようとするところにあるのである。

    (三) 産業革命の意義

 神の創造理想は、単に罪のない社会をつくることだけで成し遂げられるのではない。人間は、万物を主管せよと言われた神の祝福のみ言どおり(創一・28)、被造世界に秘められている原理を探求し、科学を発達させて、幸福な社会環境をつくっていかなければならないのである。既に前編で論じたように、堕落人間の霊肉両面の無知に対する克服は、宗教と科学が各々担当して理想社会を復帰してきたので、歴史の終末には、霊的な無知を完全に除去できるみ言が出なければならないとともに、肉的な無知を完全に除去できる科学が発達して、理想社会を成し遂げ得る前段階の科学社会を建設しなければならないのである。このような神の摂理から見ても英国の産業革命は、どこまでも理想社会の生活環境を復帰するための摂理から起こったものだ、ということを知ることができる。
 理想社会の経済機構も、完成された人体の構造と同様でなければならないのであるから、前にも述べたとおり、生産と分配と消費は、人体における胃腸と心臓と肺臓のように、有機的な授受の関係をもたなければならない。したがって、生産過剰による破壊的な販路競争とか、偏った分配によって全体的な生活目的を害する蓄積や消費をしてはならないのである。ゆえに、必要かつ十分な生産と、公平にしてしかも過不足のない分配と、全体的な目的のための合理的な消費をしなければならない。
 ところで、産業革命による大量生産は、イギリスをして商品市場と原料供給地としての広大な植民地を急速度に開拓せしめた。そして、産業革命は理想社会のための外的な環境復帰ばかりでなく、福音伝播のための広範囲な版図をつくって内的な復帰摂理の使命をも果たしたのである。

    (四) 列国の強化と植民地の分割

 文芸復興以後、カイン、アベルの二つの型に分かれて成熟してきた人生観は、各々二つの型の政治革命を起こし、二つの型の民主主義を樹立した。この二つの型の民主主義は、みなイギリスの産業革命の影響を受けながら急速度に強化され、民主と共産二つの系列の世界を形成していくようになった。
 すなわち、産業革命に引き続き、飛躍的な科学の発達につれて起こった工業の発達は、生産過剰の経済社会を招来した。そして、過剰な生産品の販路と工業原料の獲得のための新地域の開拓を必要とするようになり、ついに世界列強は、植民地争奪戦を続けながら、急速度に強化されていったのである。このように、カイン、アペル二つの型の人生観の流れと、科学の発展に従って、経済発展は政治的にこの世界を、民主と共産の二つの世界に分立させたのである。

    (五) 文芸復興に伴う宗教、政治および産業革命

 カイン型であるヘレニズムの反中世的復古運動は、人本主義(Humanism)を生み、文芸復興(Renaissance)を引き起こした。これが、更にサタンの側に発展して、第二の文芸復興思潮といえる啓蒙思想を起こすようになった。この啓蒙思想が一層サタンの側に成熟して、第三の文芸復興思潮といえる唯物史観を生み、共産主義思想を成熟させたのである。
 このように、サタンの側で天の摂理を先に成し遂げていくに従って、宗教、政治、産業各方面においても三次の革命が引き続き生ずるようになった。すなわち、第一次文芸復興に続いて、ルターを中心とする第一次宗教改革があった。第二次文芸復興に続いて、宗教界では、ウェスレー、フォックス、スウェーデンボルグなどを中心とした新しい霊的運動が、激しい迫害の中で起こったが、これが第二次宗教改革運動であった。ゆえに、第三次文芸復興に続いて、第三次宗教改革運動が起こるということは、歴史発展過程から見て、必至の事実であるといえる。事実、今日のキリスト教の現実は、その改革を切実に要求しているのである。
 また、政治的な面においても三段階の変革過程があったことを看破することができる。すなわち、第一次文芸復興と第一次宗教改革の影響により、中世封建社会は崩壊に導かれた。第三次文芸復興と第二次宗教改革の影響により、続いて専制君主社会が崩壊に導かれたのである。そして第三次文芸復興による政治革命によって、共産主義社会が成立するに至った。今後は、将来、第三次宗教改革により、天の側の民主世界が理念的にサタンの側の共産世界を屈伏させて、この二つの世界が、必然的に神を中心とする一つの地上天国に統一されなければならないのである。
 一方我々は、宗教と政治の変革に従うところの経済改革も、三段階の過程を経て発展してきたという事実を知ることができる。すなわち、蒸気による工業発達によって第一次産業革命がイギリスにおいて起こり、つづいて、電気とガソリンによる第三次産業革命が先進諸国で起こった。今後は、原子力による第三次産業革命が起こり、これによって理想世界の幸福な社会環境が世界的に建設されるであろう。このメシヤ再降臨準備時代における三次の文芸復興に伴う宗教、政治および産業など三分野にわたる三次の革命は、三段階の発展法則による理想社会実現への必然的過程なのである。

    第四節 世 界 大 戦

    (一) 蕩減復帰摂理から見た世界大戦の原因

 戦争は、いつでも政治、経済、思想などが原因となって起こるようになる。しかし、このようなことはあくまでも外的な原因にすぎないのであって、そこには必ず内的な原因があるということを知らなければならない。これはあたかも人間の行動に内外両面の原因があるのと同様である。すなわち、人間の行動は、当面の現実に対応しようとする外的な自由意志によって決定されるのはもちろんであるが、復帰摂理の目的を指向し、神のみ旨に順応しようとする内的な自由意志によって決定されるものもあるのである。ゆえに、人間の自由意志によって起こる、行動と行動との世界的な衝突が、すなわち世界大戦であるので、ここにも内外両面の原因があるということを知らなければならない。したがって、世界大戦を、政治、経済、思想などその外的な原因を中心として見ただけでは、これに対する摂理的な意義を把握することができないのである。
 それでは、蕩減復帰摂理から見た世界大戦の内的な原因は何なのだろうか。第一に、主権を奪われまいとするサタンの最後の発悪によって、世界大戦が起こるようになるのである。既に上述したように、人間始祖が堕落することによって、元来神が成し遂げようとしてきた原理世界を、サタンが先立って原理型の非原理世界を成し遂げてきたのであり、神はそのあとをついていかれながら、サタン主管下のこの非原理世界を奪い、善の版図を広めることによって、次第に原理世界を復帰する摂理をしてこられたのである。したがって、復帰摂理の路程においては、常に、真なるものが来る前に、偽ものが先に現れるようになる。キリストが来られる前に偽キリストが来るであろうと言われたのは、その代表的な例であるといえる。
 ところで、サタンを中心とする悪主権の歴史は、再臨主が現れることによってその終末を告げ、神を中心とする善主権の歴史に変わるのであるから、そのときにサタンは最後の発悪をするようになる。モーセを中心とする民族的カナン復帰路程において、エジプトを出発しようとするイスラエル選民に対し、サタンはパロに最後の発悪をさせたので、天の側では三大奇跡により彼を打って出発したのである。このように、歴史の終末期においても世界的カナン復帰路程を出発しようとする天の側に対して、サタンが最後の発悪をするので、これを三次にわたって打つのが三次の世界大戦として現れるのである。
 第二に、神の三大祝福を成就した型の世界を、サタンが先に非原理的につくってきたので、これを復帰する世界的な蕩減条件を立てるために世界大戦が起こるのである。神は人間を創造されて、個性を完成すること、子女を繁殖すること、そして、被造世界を主管することなどの三大祝福を人間に与えた(創一・28)。したがって、人間はこの祝福を成就して地上天国を実現しなければならなかったのである。神は人間を創造なさり、このような祝福をされたので、その人間が堕落したからといって、この祝福を破棄することはできない。それゆえに、堕落した人間がサタンを中心として、その祝福された型の非原理世界を先につくっていくのを神ほ許さないわけにはいかないのである。したがって、人類歴史の終末には、サタンを中心とする個性の完成、サタンを中心とする子女の繁殖、サタンを中心とする被造世界の主管など、三大祝福完成型の非原理世界をつくるようになる。ゆえに神の三大祝福を復帰する世界的な蕩減条件を立てるためには、サタンを中心とするこのような三大祝福完成型の非原理世界を、蘇生、長成、完成の三段階にわたって打つ三次の世界大戦が起こらざるを得ないのである。
 第三に、イエスの三大試練を世界的に越えるために世界大戦が起こるようになる。イエスの路程は、すなわち信徒たちが歩まなければならない路程であるので、信徒たちはイエスが荒野で受けた三大試練を、個人的に、家庭的に、国家的に、世界的に乗り越えなければならない。このようにして、全人類がイエスのこの三大試練を三次にわたって世界的に越えていくのが、すなわちこの三次にわたる世界大戦なのである。
 第四に、主権復帰のための世界的な蕩減条件を立てるために、世界大戦が起こるようになる。人間が堕落しないで、成長期間の三段階を経て完成されたならば、神の主権の世界が成就されたはずである。ゆえに、この堕落世界をカイン、アベルの二つの型の世界に分立したのち、アベル型の天の世界がカイン型のサタンの世界を打って、カインがアベルを殺した条件を世界的に蕩減復帰し、神の主権を立てる最後の戦争を遂行しなければならないが、これも三段階を経過しなければならないので、三次の世界大戦が起こるようになるのである。ゆえに、世界大戦は縦的な摂理路程において、主権復帰のためにあったすべての戦いの目的を、横的に蕩減復帰すべき最終的な戦争なのである。

    (二) 第一次世界大戦

    (1) 第一次世界大戦に対する摂理的概要

 カイン、アベル三つの型の人生観によって起こったカイン、アベル二つの型の民主主義革命によって、専制君主政体は崩壊した。これに続いて起こった産業革命は、封建主義社会を資本主義社会へと導き、ついには帝国主義社会を迎えるようになったのであった。ゆえに、第一次世界大戦は、政治的な面から見れは、アベル型の民主主義により復帰摂理の目的を指向する民主主義政体と、カイン型の民主主義により復帰摂理の目的に反する全体主義政体との戦争であった。また、経済的な面から見れば、これは、天の側の帝国主義とサタン側の帝国主義との戦争であった。したがって、この大戦は一面、欧米諸国中の先進資本主義国家と後進資本主義国家とが、植民地争奪のために展開した戦争でもあったのである。また、第一次世界大戦を思想的な面から見れば、当時のキリスト教を迫害した回教国家であるトルコ、および、これを支持したドイツやオーストリアなどカイン型の国家群と、主にキリスト教を信奉した米、英、仏などアベル型の国家群との間に展開された戦争であったのである。結論的にいうと、第一次大戦は、アベル型の人生観の目的を実現すべき民主主義が、蘇生的な勝利の基盤を造成する戦争であったのである。タェ・@1・br>

    (2) 天の側とサタンの側との区別は何によって決定されるか

 天(神)の側とサタンの側との区別は神の復帰摂理の方向を基準として決定される。神の復帰摂理の方向と同じ方向をとるか、あるいは間接的でもこの方向に同調する立場をとるときこれを天の側といい、これと反対になる立場をサタンの側という。ゆえに、天の側であるとかサタンの側であるというのは、我々の常識や良心による判断と必ずしも一致するものとはいえないのである。モーセがエジプト人を殺したという事実は、神の摂理を知らない人はだれでも悪だと言うであろう。しかし、復帰摂理の立場で見ればそれは善であった。そればかりでなく、イスラエル民族が何の理由もなくカナンの地へ侵入して数多くの異邦人を全滅させたという事実も、神の摂理を知らない立場から見れば悪であるといわざるを得ない。しかし、これもやはり、復帰摂理の立場から見れば善であったのである。カナン民族の中に、イスラエル民族よりもっと良心的な人がいたとしても、当時の彼らはみな一律にサタンの側であり、イスラエルは一律に天の側であったからである。
 なお一歩進んで、この例を宗教面において挙げてみよう。すべての宗教はその目的が等しく善にあるので、それはみな天の側である。しかし、ある宗教が、使命的に見て一層天の側に近い宗教の行く道を妨害するときには、その宗教はサタンの側に属するようになる。また、各宗教は各々時代的な使命をもっているので、ある宗教がその使命期を過ぎたのちまでも、次の時代の新しい使命を担当して現れた宗教の行く道に障害となる立場に立つとき、その宗教はサタン側になるのである。例えはイエスが現れる前には、ユダヤ教やその民族はみな天の側であった。しかし彼らが、ユダヤ教の目的を達成するために新しい使命をもってこられたイエスを迫害するようになったときには、彼らがいくら過去に神をよく信奉してきたとしても、イエスを迫害したその日からサタン側とならざるを得なかったのである。
 近世以後においては、アベル型の人生観の系統はみな天の側であり、カイン型の人生観の系統はみなサタンの側である。このような意味において唯物論者はカイン型の人生観の結実であるので、人間的に見るといくら良心的で他人のために献身していても、彼らはサタンの側である。したがって、共産世界はサタン側の世界となるのである。これに反して、信仰の自由が許されている民主世界は、アベル型の人生観として存立する世界であるから天の側である。
 前編で既に論じたように、キリスト教はすべての宗教の目的を達成するための最終的な使命をもって、中心宗教に立てられているので、復帰摂理の立場から見れば、この摂理の目的を指向するキリスト教の行く道を妨害するものほ、何でもサタン側になるのである。したがって、キリスト教を迫害するとか、またほ、その発展を直接、あるいは間接的に妨害する国家は、みなサタン側になる。ゆえに、第一次世界大戦において、米、英、仏、露など、連合国側の主動国家はキリスト教国家であるばかりでなく、回教国であるトルコ内で迫害を受けていたキリスト教徒を解放させようとした国家であるので、みな天の側になり、ドイツやオーストリアなど同盟国側の主動国家は、キリスト教を迫害する回教国家であったトルコを支持したので、それらの国家はみなトルコと共にサタン側となったのである。

    (3) 復帰摂理から見た第一次世界大戦の原因

 復帰摂理から見て、第一次世界大戦が起こるようになった内的な原因の第一は、神の三大祝福を復帰する蘇生的な蕩減条件を世界的に立てようとするところにあった。既に明らかにしたように、サタンは、神がアダムを中心として成し遂げようとした世界と類似した型の世界を先につくってきたので、歴史の終末に至っては、一時は必ずサタン側のアダム型の人物を中心として、三大祝福の蘇生級完成型の非原理世界が現れるようになる。したがって、天の側ではこの世界を打って、神を中心としてその祝福を完成した原理世界を復帰する蘇生的な蕩減条件を、世界的に探して立てなければならない。このような目的のため、第一次世界大戦が起こるようになったのである。
 ゆえに、第一次世界大戦を挑発したドイツのカイゼル(ウイリアム二世)は、サタン側のアダムの蘇生級個性完成型の人物として、汎ゲルマン主義を主唱して子女繁殖の型をつくり、世界制覇の政策を立てて万物主管の型を成し遂げ、サタンを中心とする三大祝福の蘇生級完成型の非原理世界を達成したのである。したがって、天の側がこのようなサタン側を打って勝利して、神を中心とする三大祝福を完成した世界を復帰する蘇生的な蕩減条件を世界的に立てるために、第一次世界大戦は起こらざるを得なかったのである。
 第二に、イエスに対するサタンの第一次試練を、天の側の地上人をして世界的に越えさせるために、第一次世界大戦がなければならない。ゆえに、イエスが受けた試練を中心として見れば、天の側では第一次大戦に勝利し神の第一祝福を世界的に復帰できる蕩減条件を立てなければならなかった。なぜならば、イエスが荒野で第一次試練に勝利して、石で表示されたイエス自身を取り戻して個性復帰の基台を造成したように、天の側では第一次世界大戦に勝利することによって、サタン側の世界とその中心を滅ばし、その反面、天の側の世界を立てて、その中心たる再臨主の誕生を迎え、個性復帰のための基台をつくらなければならなかったからである。
 第三に、主権復帰の蘇生的な基台を造成するために第一次世界大戦がなけれはならない。我々は既に後編第四章第七節(二)(6)において、専制主義社会を打破して神の主権を復帰するための最終的な政体として、民主主義政体が出てくるようになったと論じたが、結果として現れた事実が物語っているように、第一次大戦で天の側の国家が勝利し、政治版図を拡大させて、世界をキリスト教化した。また、天の側の、広範囲で確固とした政治および経済の基台を造成して、民主主義の蘇生的な基台を碓立すると同時に、天の側の主権復帰の蘇生的な基台をつくらなければならなかったのである。

    (4) 復帰摂理から見た第一次大戦の結果

第一次世界大戦で天の側が勝利することにより、神の三大祝福を世界的に復帰するための蘇生的な蕩減条件を立てるようになった。イエスに対するサタンの試練を世界的に越える立場から見れば、神の第一祝福を世界的に復帰できる蕩減条件を立て、ここで民主主義が蘇生的な勝利を得るようになり、天の側の主権復帰の蘇生的な基台を造成したのである。また、サタン側の世界と、その世界の王として君臨したカイゼルが敗北した反面に、天の側の世界の蘇生的な勝利の基台が立てられ、天の側の世界の王として来られる再臨主の誕生される基台が造成されたのである。またこれに続いて、サタン側の再臨主の象徴型であるスターリンを中心とする共産世界がつくられるようになった。なぜならば再臨主は、共生共栄共義主義の地上天国理想をもって降臨される方であるので、サタン側では天の側のこのような摂理をそれに先んじて達成するために、サタン側の再臨主型の人物を中心として地上天国型の世界を成し遂げようとしたからであった。ゆえに、第一次世界大戦においては、天の側の勝利によってメシヤ再降臨の基台が造成され、そのときから再臨摂理の蘇生期が始まったのである。

    (三) 第二次世界大戦

    (1) 第二次世界大戦に対する摂理的概要

 既に中世以後の歴史において見てきたように、民主主義の根本精神は、アベル型の人生観の目的を実現しようとするところにある。民主主義は人間本性の内外両面の性向に従い、必然的に創造理想の世界を追求するようになる。ゆえに、第二次世界大戦は、第一次大戦によって得た蘇生的な勝利の基台の上に立つ民主主義が、人間本性の指向する道をふさぐ全体主義と戦って、長成的な勝利の基盤を造成する戦争であったのである。

    (2) 全体主義とは何か

 一九三〇年代において、経済恐慌が世界的に押し寄せてきたとき、特にこの逆境を克服し難い、孤立した環境に立たせられた独、日、伊などの国家は、その難局を打開する道を全体主義の中に求めようとしたのである。それでは、全体主義とほ何であろうか。全体主義とは、近代国家の民主主義政治思想の根本である人間の個性に対する尊重と、言論、出版、集会、結社の自由、そして国家に対する基本的な人権および議会制度などを否定し、民族国家の「全体」だけを究極の実在として見ることにより、個人や団体は民族国家全体の存立と発展のためにのみ存在しなければならないと主張する政治理念である。ゆえに、この制度のもとにおける自由は、個人が主張し享受できる権利ではなく、全体の前にささげなけれはならない一つの義務であり、また犠牲として定義されるのである。全体主義の指導原理は、すべての権威を多数におくのではなく、ただ一人の支配者におき、そしてその支配者の意志をもって国家民族の理念とするのである。この指導理念による全体主義政治体制の実例を挙げれば、イタリアにおけるムッソリーニ、ドイツにおけるヒットラー、日本における軍閥による独裁政体が各々それに該当するといえる。

    (3) 第二次世界大戦における天の側国家とサタン側国家

 第二次世界大戦は、民主主義によって結託した米、英、仏の天の側国家と、全体主義によって結託した独、日、伊のサタン側国家との対戦であった。それでは、どうして前者は天の側であり後者はサタン側なのであろうか。前者はアベル型の人生観を中心として、復帰摂理の最終段階の政治理念として立てられた民主主義を根本理念とする国家であるから天の側である。後者はその政治理念がカイン型の人生観を中心としており、反民主主義的な全体主義国家であるゆえにサタン側である。また、前者はキリスト教を支持する国であり、後者は反キリスト教的な立場に立った国家であるので、各々天の側とサタン側とに区別されたのである。
 その内容をもう少し明らかにしてみよう。当時代において枢軸国の中心であったドイツは、人間の基本的な自由を剥奪し、その思想統制は宗教分野にまで及んだのである。すなわち、ヒットラーはローマ法王とは別途に協約を結び、厳重なゲルマンの原始的宗教思想を導入して民族的宗教を創設したのち、全国の主教のもとにすべての新教を統轄しようとしたので、新教はもちろん、旧教までもこれに強力な反対運動をしたのである。そればかりでなく、ヒットラーは六〇〇万のユダヤ人を虐殺した。また大戦当時の日本の軍閥は、韓国の各教会に神道の神棚を強制的に設置させ、キリスト教信徒たちを強制的に引っ張りだして日本の神社に参拝させ、これに応じない信徒たちを投獄、殺傷した。さらに、イタリアはサタン側に立ったドイツと一つになって枢軸国家となり、ムッソリーニは国民思想を統合するために、故意に旧教を国教とすることによって、神の復帰摂理に逆行する道を歩いた。これらのことを根拠として、当時の独、日、伊は共にサタン側の国家であると規定されるのである。

    (4) 天の側とサタン側が各々三大国に対立した理由

 詳細は次の項で論述するが、第二次世界大戦は、イエスを中心として成し遂げようとしながらできなかった神の三大祝福を復帰する長成的な蕩減条件を、世界的に探し立てるために起こったのである。ところが、元来神の三大祝福が完成されなかったのは、アダム、エバ、天使長の三存在が堕落してしまったからであった。ゆえに、三大祝福の復帰にも、それらを蕩減復帰するための三存在の関与が必要であったので、後のアダムとして来られたイエスと、エバの神性をもって来られた聖霊(前編第七車第四節(一))と天使の三存在が一つになって初めて霊的救いの摂理を成し遂げ、神の三大祝福を霊的に復帰することができたのである。したがって、イエスを中心とする三大祝福を復帰するための、長成的な蕩減条件を、世界的に立てるべき第二次世界大戦も、アダム、エバ、天使を象徴する天の側の国家が中心となり、同一の型を備えたサタン側の国家と戦って勝利し、それを蕩減復帰する条件を立てなければならない。ゆえに、これを知っているサタンは、この摂理に先立って、サタン側のアダム、エバ、天使型の国家を先に団結させ、天の側のそのような型の国々に向かって攻勢をかけさせたのである。
 アメリカは男性国家として天の側のアダムを、イギリスは女性国家として天の側のエバを、フランスほ中間的な国家として天の側の天使長を各々象徴し、ドイツは男性国家としてサタン側のアダムを、日本は女性国家としてサタン側のエバを、イタリアは中間的な国家としてサタン側の天使長を各々象徴したのである。第一次世界大戦においての米、英、仏と、ドイツ、オーストリア、トルコも、やはり各々このような類型に編成された、蘇生的な象徴型としての天の側とサタン側の国々であったのである。
 それでは、第二次大戦において、サタン側の国家であるソ連はなぜ天の側に加担するようになったのだろうか。法王を中心とする西欧の中世社会が復帰摂理の目的を達成できない立場に立ったとき、神はこれをカインとアベルの二つの型の人生観の世界に分立して、共産と民主の三つの世界を成し遂げていく摂理をなさらなければならなくなっていた。ところが、封建社会や専制君主社会や帝国主義社会は、みなこのような摂理を成し遂げようとする天の側の行く道を妨げると同時に、サタン側が行く究極の道をも遮ることになるので、天の側とサタン側とが手を組んでそれらの社会を打破するようになったのである。復帰摂理は時代の流れに従って発展する。したがって、神の復帰摂理を先に達成していく非原理世界も、時代の流れに従ってサタンの目的を指向し発展せざるを得なくなる。ゆえに、サタン世界においても、古びた社会は進歩的な社会をつくるのに障害となるので、それを清算する戦いをするようになるのである。
 このような歴史的な趨勢からして、第二次世界大戦における全体主義は、天の側においてそうであるように、サタン側が行く道においてもまた、やはり障害となったのである。しかるに神は、サタン側が共産主義世界をつくることを、蕩減復帰摂理上、一時的にではあっても許容されなければならなかったので、ソ連が天の側国家と協力して全体主義国家を打倒することにより、共産世界が速やかにそれなりの結実をするようにされたのである。しかし第二次世界大戦が終わるや否や、民主と共産の二つの世界は、水と油のように、はっきり分かれるようになったのであった。

    (5) 復帰摂理から見た第二次世界大戦の原因

 復帰摂理から見て、第二次世界大戦が起こるようになった内的な原因の第一は、神の三大祝福を復帰する長成的な蕩減条件を世界的に立てようとするところにあった。神はアダムが堕落したことにより、第二次に、後のアダムであるイエスを遣わし、彼を中心として神の三大祝福を完成した世界を復帰なさろうとしたのである。しかしイエスはユダヤ人の不信により十字架で亡くなられたので、これはただ霊的にのみ成就されるにとどまった。またサタンは、イエスが成し遂げようとされた世界と類似した型の世界を先につくっていこうとするので、歴史の終末に至っては、必ずサタン側のイエス型の人物を中心として、三大祝福の長成級完成型の非原理世界がつくられるのである。したがって、この世界を打って、神を中心としてその祝福を完成した原理世界へ復帰する、長成的な蕩減条件を世界的に立てなければならない。このような目的のために第二次世界大戦が起こるようになったのである。
 このサタン側のイエス型の人物がすなわちヒットラーであった。ゆえにヒットラーは、その思想とか、独身生活とか、彼の悲惨な死とか、また行方不明になった彼の死体などすべての面において、み旨とは方向が反対であるというだけで、その他の点においては、イエスと類似する面を多くもっていたのである。したがって、第二次世界大戦を挑発したドイツのヒットラーは、サタン側のアダムの長成級個性完成型の人物として、汎ゲルマン主義を強化することによって子女繁殖の型を成し遂げ、世界制覇の政策を樹立して万物主管の型を実現し、サタンを中心とする三大祝福の長成級完成型の非原理世界をつくったのである。ここにおいて天の側は、第二次世界大戦に勝利することによって、三大祝福を完成した世界を復帰する長成的な蕩減条件を世界約に立てなければならなかったのである。
 第二に、イエスに対するサタンの第二の試練を、天の側の地上人をして世界的に越えさせるために第二次世界大戦がくるようになる。ゆえに、イエスが受けた試練を中心として見れば、天の側では第二次大戦で勝利して、神の第二祝福を世界的に復帰できる蕩減条件を立てなければならなかった。なぜならば、イエスが荒野で第二の試練に勝利して子女復帰の基台を造成されたように、天の側の世界が第二次大戦に勝利することによって、民主主義の長成的な基台を造成し、天の側の人間たちが天の世界的な基盤をつくらなければならなかったからである。
 第三に、主権復帰の長成的な基台を造成するために第二次世界大戦が起こるようになったのである。第二次大戦において天の側が勝利することにより、民主主義世界は蘇生的な基盤をもつようになったが、それと呼応してカイン型の世界をつくってきたサタン側でも、第一次大戦が終わるや否や、帝国主義を克服して共産主義世界の蘇生的な基盤を達成した。ゆえに、第二次大戦では、その結果として現れた事実が物語っているように、民主と共産の二つの世界を完全に分離させ、各々その長成的な基盤をつくるようにしなければならなかった。民主主義世界がその長成的な基盤をつくるようになるに従って、天の側の主権復帰はその長成的な基台を造成するようになるのである。

    (6) 復帰摂理から見た第二次世界大戦の結果

 第三次世界大戦が天の側の勝利に終わったので、神の三大祝福を世界的に復帰するための長成的な蕩減条件を立てることができた。イエスに対するサタンの試練を世界的に越える立場から見れば、神の第二祝福を世界的に復帰できる蕩減条件を立て、また民主主義世界が長成的な基盤をつくって、主権復帰の長成的な基台を造成するようになったのである。
 また、蕩減復帰の原理から見て、サタン側のイエス型の人物であるヒットラーとその国が滅び、サタン側の再臨主型の人物であるスターリンを中心とする共産世界が世界的な基盤をもって現れるようになったのは、復活されたイエスを中心として霊的な王国を建設していった時代は過ぎ、再臨されるイエスを中心として、新しい天と新しい地(黙二一・1〜7)を建設するときになったことを見せてくれたのである。
 このように、第二次大戦が終わったあとからは再臨摂理の長成期に入るので、多くの信徒たちがイエス再臨に関する啓示を受け、神霊の業(役事)が世界的に起こるようになるのである。これに従って、あらゆる既成宗教は一層混乱し分裂して世俗的に流れ、宗教的生命を失ぅようになる。これは、最終的な新しい真理により、すベての宗教を一つに統一するための終局的な摂理によって生ずる一つの終末的な現象なのである。

    (四) 第三次世界大戦

    (1) 第三次世界大戦は必然的に起こるのであろうか

 神は、元来、人間始祖を創造されて、彼に世界を主管せよと祝福されたので(創一・28)、サタンが堕落した人間を中心として先にこの祝福を完成した型の非源理世界をつくっていくのを許さなければならなかった。その反面、神は復帰摂理によってそのあとについていきながら、それを天の側へ奪ってくる摂理をしてこられたことは、我々がよく知っている事実である。ゆえに、人類歴史の終末には、サタン側も天の側もみな世界を主管するところまで行かなければならないので、民主と共産の二つの世界が両立するようになる。そして、この三つの世界の最終的な分立と統合のために世界大戦が起こるようになるのである。このように、.第一次、第二次の大戦は、世界を民主と共産の二つの世界に分立するための戦いであり、このつぎには、この分立された二つの世界を統一するための戦いがなければならないが、これがすなわち第三次世界大戦なのである。第三次世界大戦は必ずなければならないが、その戦いには二つの道がある。
 第一は、武器でサタン側を屈伏させて統一する道である。しかし、統一されたのちにきたるべき理想世界は、全人類が共に喜ぶ世界でなければならないので、この世界は、敵を武器で外的に屈伏させるだけでは決して実現できない。ゆえに、彼らを再び内的にも屈伏させて衷心から喜べるようにしなければならない。そのためには、人間の本性的な欲求を満足させる完全無欠な理念がなくてはならないのである。またこの戦いの第二の道は、武器による外的な戦いをしないで全面的に理念による内的な戦いで、直ちにサタン世界を屈伏させて統一する道である。人間は理性的な存在であるから、結局理性で屈伏し、理性によって一つになるのでなければ、完全な一つの世界となることはできないのである。この二つの戦いの中で、いずれの道によって一つの理想世界が成し遂げられるかは人間の責任分担の遂行いかんによって決定される問題である。それでは、この道に必要な新しい世界の理念はどこから現れるのだろうか。
 人類を一つの理想世界へと導くことのできる理念が、カイン型の人生観で立てられた共産主義世界から出てくるはずは絶対にない。なぜなら、カイン型の人生観は人間本性の内的な性向の伸長を遮っているからである。ゆえに、この理念は必ずアベル型の人生観で立てられた民主主義世界から出てこなければならないが、しかし、我々がこれまでに知っている民主主義世界のいかなる既存理念も、共産主義の理念を屈伏させることができないということは、既に歴史的に証明されている事実である。したがって、この理念ほ必ず民主主義世界から、新しく登場してこなければならないのである。新しい理念が出てくるためには新しい真理が出なければならないが、この新しい真理がすなわちアベル型の人生観の根本であり、したがって、民主主義の根本となることはもちろんである。今まで、時代の流れに従って、より新しい真理を探求してきた歴史発展過程がそうであったように、このような新しい真理が出てくると、多くの人間が、今まで真理であると信じてきた古いものと互いに衝突するようになるので、今日の民主主義世界そのものも、再びカイン、アベルの二つの立場に分立されてお互いに争うようになるであろう。しかし、この新しい真理が民主主義世界で勝利の基盤をもつようになり、更に進んでは共産主義の理念を屈伏させることによって、ついに一つの真理による一つの世界が成し遂げられるのである。
 神がこの新しい真理を下さって、全人類を一つの理念に統合させょうとなさる摂理をサタンが先に知り、自分を中心として人類を統合させようと、偽りのものを真であるかのように説いたサタン側の真理がすなわち弁証法的唯物論である。弁証法的唯物論は理論的な根拠を立てて霊的な存在を抹殺しようとする。このような唯物論の立場から神は存在しないということを証拠立てようとしたが、結果的にはサタン自身も存在しないという論理を自らも被らざるを得ず、自縄自縛となり自滅の境地に自ら落ちこんでしまったのである。なお、サタンは歴史の終末をよく知っているので自分が滅亡することもよく知っている。したがって、結局はサタン自身も尊ばれないときが必ずくることを想定していながら、自分の犠牲を覚悟して神を否定したのがすなわち弁証法的唯物論なのである。ゆえに、民主主義世界でその理論を屈伏させる真理を出さない限り、天の側はいつまでもサタンの理論的な攻勢を免れる道がないのである。ここに、天の側で新しい完成的な真理を宣布しなければならない復帰摂理史的な根拠があるのである。

    (2) 第三次世界大戦に対する摂理的概要

 第三次大戦は、復帰摂理が始められてからこのかた最終的に、民主世界によって共産世界を屈伏させ、理想世界を復帰させようとする戦争である。復帰摂理の観点から見れば、第一次大戦までは、天の側の世界では、植民地を世界的に確保して復帰摂理のための政治と経済の版図を拡大することにより、民主主義の蘇生的な基台を立て、第二次大戦では、民主主義の長成的な基台を世界的に樹立して民主主義の版図を強固にした。第三次大戦によっては、新しい真理により完全なアベル型の人生観を立てて民主世界の完成的な基台を造成しなければならず、この基台の上で全人類を一つの世界へと導いていかなければならないのである。ゆえに第三次世界大戦は、復帰摂理の歴史の路程で、三段階まで延長しながら天のみ旨を立てようとしつつも、サタンに奪われてきたすべてのものを、歴史の終末期に至って、天の側で横的に蕩減復帰する最終的な戦争なのである。

    (3) 復帰掃理から見た第三次世界大戦の原因

 上述のように、第三次大戦が武力によって終結されるべきか、あるいは理念の戦いで終わるべきかということは、ただ、神の摂理に仕える人間自身の責任分担の遂行いかんによって決定される問題であるが、とにかくどのような道であるにもせよ、世界的な戦いが必ずもう一度なければならないということだけは確かである。
 それでは、復帰摂理から見て、第三次世界大戦が起こるようになる内的な原因は何だろうか。第一に、神の三大祝福を復帰する完成的な蕩減条件を世界的に立てるためである。ユダヤ人たちの不信仰によって、イエスを中心とする復帰摂理は結局霊的に成し遂げられただけであったので、イエスは再び地上に再臨して神の三大祝福を完成した世界を霊肉共に復帰なさらなけれはならない。ゆえに、サタンはまた、イエスが再臨されて達成すべき世界と類似した型の非原理世界を先につくっていくようになる。したがって、歴史の終末には、必ずサタン側の再臨主型の人物を中心として三大祝福を復帰した型の非原理世界がつくられるようになるのである。ゆえに、天の側では、サタンを中心とする世界を打って、神を中心として三大祝福を完成した世界を復帰する完成的な蕩減条件を世界的に立てなければならない。このような目的のために、第三次世界大戦が起こらなければならなくなるのである。
 そのサタン側の再臨主型の人物が正にスターリンであった。したがって、スターリンはサタン側の個性完成型の人物として民主世界に対抗し、農漁民、労働者の大同団結を主唱して子女繁殖の型を成し遂げ、世界赤化の政策を樹立して万物主管の型を実現し、三大祝福を完成した型の共産世界をつくったのである。ゆえに、共産主義世界は、将来きたるべき神を中心とする共生共栄共義主義世界を、サタンが先に成し遂げた、非原理世界であるということを我々は知らなければならないのである。
 第二に、イエスに対するサタンの第三次試練を、天の側の地上人をして世界的に越えさせるために第三次大戦がくるようになる。ゆえに、イエスが受けた試練を中心として見れば、天の側では第三次大戦で勝利することによって、神の第三祝福を世界的に復帰できる蕩減条件を立てなければならない。なぜなら、イエスが荒野で第三次試練に勝利して万物に対する主管性復帰の基台を造成したように、天の側が第三次大戦で勝利することによって、被造世界全体に対する人間の主管性を復帰しなければならないからである。
 第三に、主権復帰の完成的な基台を造成するために第三次大戦が起こらなければならない。それは、天の側で第三次大戦に勝利して共産主義世界を壊滅させ、すべての主権を神の前に取り戻して天宙主義の理想世界を実現しなければならないからである。

    (4) 復帰摂理から見た第三次世界大戦の結果

 かつて神は、アダム家庭でカインとアベルを立てて復帰摂理を完成なさろうとした。しかし、カインがアベルを殺すことによって人類罪悪歴史が始まったので、これを蕩減復帰なさるための善悪の分立摂理は、個人的なものから始まり、家庭、氏族、社会、民族、国家的なものを経て、世界的なものへとその範囲を広めてこられたのである。神は、復帰摂理の最終的摂理である三次の大戦に勝利することによって、三段階まで延長を繰り返してきた摂理路程の全体を蕩減復帰なさろうとするのである。最初に人間始祖は、サタンの誘惑の言葉に引きずられていったことにより、神に対する心情を失うようになった。このようにして人間は、内的な霊的堕落と外的な肉的堕落によりサタンの血統を受け継いだのである。ゆえに復帰摂理は、堕落人間が神の命のみ言により、神に対する心情を復帰して霊肉共に救いを受け、神の血統を再び受け継いで完成されるのである(後編第二章第三節(三)(2)参照)。
 三次にわたる世界大戦における天の側の勝利は、このような復帰摂理のすべての基台を完全に蕩減復帰して、人間が堕落してからのちの悠久なる歴史の期間を通じて、神が完成させようとされてきた創造本然の理想世界を実現していくようになるのである。